市制記念公園
- 住所
- 鎌ケ谷市初富924-6
- アクセス
- 新京成電鉄・東武野田線・北総鉄道
新鎌ケ谷駅 徒歩15分 - 休日
- 年中無休
- 駐車場
- 80台
- お問合せ
- 管理事務所 TEL:445-0285
正面入口を入ると蒸気機関車、その後方に飛行機。バッテリーカー(1回50円)でそのまわりを走ることができます。県内各市の樹が植えられている小道の奥には船を模したアスレチックがあります。
野球場やテニスコート(共に要予約)では、シーズンには市内大会が目白押し。
(問い合わせはスポーツ振興課 TEL:444-8585)
管理事務所の展望台からは走り抜ける北総鉄道の車両を目の高さで見ることができ鉄道マニアにはたまらない。
桜の季節には、開園時間を延長しています。
貝柄山公園
- 住所
- 鎌ケ谷市初富本町2-1474
- アクセス
- 東武野田線 鎌ケ谷駅 徒歩15分
または、新京成線 初富駅・北初富駅 各徒歩10分 - 駐車場
- 30台
アヒルやガチョウの泳ぐ池のまわりは、四季の変化を楽しみながらのお散歩コースに絶好です。休日の多目的広場には、家族連れがいっぱい。
鎌ケ谷大仏
- 住所
- 鎌ケ谷市鎌ケ谷1-5
- アクセス
- 新京成線 鎌ケ谷大仏駅 徒歩2分
- 駐車場
- なし
- お問合せ
- 鎌ケ谷市文化スポーツ振興課 TEL:047-445-1141
鎌ケ谷大仏は、小さな大仏です。奈良や鎌倉の大仏のような大きな大仏ではなく、高さが1.8mの目立たない大仏です。
墓地の中にあるのでさらに目立たない。安永5年に大黒屋(福田)文右衛門が先祖供養のために、江戸神田の鋳物師多川主膳に造らせたものと伝えられています。
古く「小金道」と「木下街道」が交差する現在の大仏十字路には鎌ケ谷宿があって栄えていました。大仏駅から延命寺までに問屋1軒、旅籠6軒があったそうです。
日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷
- 住所
- 鎌ケ谷市中沢459
- アクセス
- 東武野田線 鎌ケ谷駅 下車2.1km
新京成線 北初富駅 下車2.4km
北総鉄道・新京成線・東武野田線 新鎌ケ谷駅 下車3.4km
北総鉄道 大町駅 下車3.4km
各駅よりバス又はタクシー
(詳細は球団ホームページでご確認下さい) - お問合せ
- TEL:047-446-5586
- 敷地面積
- 58,024.71m2
自然と調和した住みよいまち「緑とふれあいのあるふるさと鎌ケ谷」を都市像に掲げる鎌ケ谷市は、21世紀の鎌ケ谷づくりに向けて諸政策を展開してきましたが、市制20周年を記念して、平成3年10月に「生涯スポーツ都市」宣言をしました。
こうした中で、市民スポーツに対する夢と情熱をはぐくみ、生涯スポーツ都市のシンボル的存在として”日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷”が完成しました。鎌ケ谷市が招致したプロ野球球団の一つである日本ハムファイターズの新グランドです。今後、地域の活性化や鎌ケ谷のイメージアップ、さらには、スポーツの振興に大きく寄与し、市民に愛され、親しまれる施設となり得ると期待されています。
観光農園
- 住所
- 鎌ケ谷市新鎌ケ谷2-6-1
- 品目
- 梨狩り(8月中旬~10月上旬)
ブドウ狩り(8月上旬~10月中旬)
産地直売直送(8月上旬~)
気象条件により多少前後することがありますので事前にご確認下さい。
鎌ケ谷市観光農業組合加盟園 - お問合せ
- 鎌ケ谷市観光農業組合
〒273-0195 鎌ケ谷市新鎌ケ谷2-6-1
鎌ケ谷市役所農業振興課内
TEL:047-445-1141(内)545
官軍兵士の墓
戊辰戦争の際、官軍の先鋒に加わっていた佐土原藩士たちが鎌ケ谷村大新田で撤兵隊と戦闘し、2名が戦死しました。
佐土原藩は現在の宮崎県宮崎郡佐土原町にあった藩で鹿児島の島津家の分家にあたります。明治19年に佐土原出身の九兵衛というものが墓標をたてたものが大仏墓地に残っています。
魚文の碑
松尾芭蕉の流れをくむ三級亭魚文の句碑です。
「ひとつ家へ人を吹き込む枯葉かな」
旅の途中、野馬があちこちに見えるだけで人家もわずかばかりの鎌ケ谷原木下街道のうらさびしい情景を歌ったものです。
小金中野牧の込跡
込は、江戸時代元文年間(1736~40)に造られた野馬を追い込み、捕らえより分ける捕込(とつこめ)場のことです。
昭和41年(1996)に、下津谷達男氏を中心に、鎌ケ谷中学の教員、生徒の協力で調査が行なわれ、翌年、千葉県の指定史跡となりました。現在は、土塁の一部が残っているだけです。
「成田山参詣記」(安政5年)や松戸市の幸谷にある福昌寺に残る絵馬(松戸市立博物館に複製が展示されている)に、野馬捕りの日(年1回)の様子が描かれています。
野馬捕りの日には、近在から多くの人が集まり、土手の回りには屋台も出て、馬の追い込みを楽しんで見ていたようです。
佐津間城跡
戦国時代の城跡の一つとされています。当時の房総では、安房の里見氏と小田原の北条氏が対立していました。
千葉県内には、約600ヵ所の中世城館跡が確認されています。この地域が小金高城氏の支配下にあったことから、手賀沼方面からの敵に備えた高城氏の家臣の居城であったと思われています。